本コバブログ:とはずがたり「久々の地元はもうアウェー」

「本と、珈琲と、ときどきバイク。」の
店主がお送りするブログ。
略して“本コバブログ”。

GWも終わりまして、1週間が経過。
カラダ重めかつ、テンション低めで
労働スタートの方も多かったことでしょう。
僕も休めるならもっと
休みたい気持ちもありつつ、
自分が勝手に自分に課した"本屋"という
使命を全うすべく、5連休という
超久々の超大型連休を頂きましたが、
なんとか現実に戻って参りました。
日頃全く休みがないため、
すべきことが溜まってた関係もあり、
まとまった休みが必要だったのです。
その目的の一つ、地元:金沢への帰省。
地元とはいえ、もう掛川人となった今、
"帰省"と言うのが相応しいものかビミョ〜ですね。
今回のブログではそんな久々の金沢を
ノスタルジー満載で綴ろうかと思います。
完全に私事であり独り言です笑。
なので無駄に長くなりがちですので、
自分自身の備忘録のためであり、
ご覧の皆さんには暇つぶし感覚でおなしゃす。
ご了承くださいませ。
おしゃれな最新金沢スポット写真はほぼなし。
自分の生まれ育った小学校&中学校の校区を
あまり個人情報晒さない範囲で
(まぁバレるっちゃバレるんですが笑)
ぶらり散歩レポートです。

僕は金沢港が目と鼻の先にある
ほぼ日本海沿いの町に生まれ育ちまして、
当時はコンビニもなくて、
一応歩いて行ける距離に駄菓子屋とか
小さなスーパーや本屋があった程度。
その本屋含め、小さなお店たちも
中学か高校生になる頃には
すでに閉店してたような。。。曖昧です。
まぁ、田んぼに囲まれた質素な田舎町出身です。
(今でも最寄りのコンビニはやや遠いかも)
さらに幼少の頃は
実家に隣接する道すらも未舗装でしたね。

先日「海の女王」こと
英国の豪華客船「クイーン・エリザベス」が
金沢港に寄港していたらしいですが、
そういった大型豪華客船が寄港した際は
実家から丸見えでして、
視界の中にデカいホテルが
突然現れたかのような衝撃映像さながら
驚いていた記憶が残っています。
記憶にある豪華客船寄港の驚きは、
確か中学生の頃かと。
もう20年以上も前のことです。
デカい豪華客船の寄港は
当時さえぎるものが何もなかったこともあり、
本当に驚くくらい景色が変わってたんですよ!

実際金沢港での思い出は多く、
保育園児だった当時の僕は、
おじいちゃんに何度も何度も本当に高頻度で
連れて行ってもらってましたね。
今は無き、金沢港にあった
古い建物内に展示してあった
港や船の模型やジオラマを見るたびに、
興奮しつつ、休憩所の自販機で
ネクターのピーチジュースを買ってもらい
よく飲んでいたことを覚えています。
何も起こらない、なんてことない思い出なのに
とても楽しい&嬉しい、特別なこととして
今でも色濃く記憶に残っています。
今では当時の建物はなくなり、
「クルーズターミナル」という名で
金沢港が新しく生まれ変わっています。

ちょうど今回の帰省のタイミングでは
金沢港に寄れなかったので、
最新ではないですが、
上写真2枚は2021年の模様です。
(確か2021年で完成したばかりだったかと)
何にもないけど立派な建物が建ちましたね。
中にはレストランもあります。
当時の面影は一切ないという
切なさもありますが、まぁそれも月日が
経ったということなのでしょうね。

改めて、思えば地元へは丸2年ぶり。
ずいぶん久しぶりと思いきや、たった2年、、、
それでも完全にアウェー感満載でしたね。
これはもう僕の育った金沢ではないと
思うほどの進展ぶり。
実家の周辺もステキな新築ばかりで、
あれだけ田んぼだらけで見晴らしがよかった時代はどこへ?
土地の値段も爆上がりしているそうです。
それでも上写真のように昔よく見た景色も残っていて
どこかホッとする自分もいたり。
それにしてもこのGWは
金沢らしからぬ快晴に恵まれまして、
こんなことは珍しいですね。
晴れてるといっても
どこかうっすらと雲がかかる白い空を
金沢では"晴れ"と呼ぶのが一般的。
スッキリ青空は極めて珍しいわけで、
調べましたら、石川県は
年間の降雨日数は全国トップクラス。
記事によってデータのバラつきはあるものの
おおよそ四日に一日は雨。らしいです。
そんなジメジメした風土で
育ったわけでございます。
人間関係などもジメジメ気味でして
排他的というか保守的な性格が強い地域。
土着の人間は内向的というか
新しいものへの感受性が弱く、
あまり口数の多くない傾向で、
ゆえに頭の中はとても饒舌という思慮深さを
持つ人が多かった印象があります(自分含)。
今はわかりませんが、昔からの住民は
変わってないんじゃないかと。
でも僕は「このままじゃ自分が腐る」と
思っていたタイプだったので、
とても居心地の悪い10代だったなぁと
今でもその葛藤が思い起こされます。

そのため、
家族とは折り合いや相性が悪く、
話が噛み合った試しはありません。
自立するまでずっと我慢してましたし、
どうせ何言っても伝わらないだろうと
諦めてた感じです。高校以降、
会話ほぼゼロでしたね。むしろ拒否。
それこそ中学までは
先輩や先生方等、目上の人との
コミュニケーションに苦手意識は
全然なかったはずなのに。
ホント高校以降ですね、
年上の人に対する苦手意識が
強く生まれていた気がします。
それには「家族に何を言っても
伝わらない」という諦め感が
発端だったような気がします。

そういう様々な葛藤を抱えて
育った場所ということもあり、
僕はどうしても地元を好きには
なれませんでした。今も変わらずに。
それこそ、人にはいくらでも
金沢の魅力を案内できますが、
住むにはオススメしないと断言しますし、
「あくまで観光程度にしときな」と
つい言ってしまいますね。
どれだけ文化的な街だろうと、
食が豊富だろうと、
アートが栄えようと、
オシャレだろうと、
洗練されようと、
素敵な女性や男性が多かろうと、
少なくとも僕には合わない風土なのでした。
それを再確認できた帰省だった気もします。

それなのに、、、
当たり前ですが、
悲しいかな、
多くの思い出が残ってるんですよ!
どうしても!この町には!
帰りたくないし住みたくもない、
嫌な思い出も山ほどあるけど
当然いい思い出だってあるし、
何気ない日々の懐かしさだって
間違いなく自分を形成してるんだという
切っても切れない染みついた縁があるのです!
地元に対する複雑な感情に
僕の心は大人になった今でも
グチャグチャでございます。

本屋を始めた関係で、
休みもなくなり、金沢への移動費を
捻出するのも一苦労。
それこそ数年単位で一度帰れるかどうか
という状況ですので、
せっかくのこの機会、
自分の育った町の"今"と"残り香"を
今のうちにひたすらカメラに
収めておこうと思い立ったのでした。
思い出に浸るとは
僕も歳とったなぁ笑。

以下パラパラと写真を添えながら
お話ししていこうと思います。

小学校への通学路にある
草ボーボー&ボロ屋。
コペンは新しいですが、
これは僕の幼少時代からある建物。
ほとんどサビ一色じゃないかと
思うほどの全身赤サビカラーですな。

これも通学路の途中に
昔からある建物ですが、
僕が子供の頃は
ここまで草ボーボーではなかった笑
雰囲気すごいですね。
下写真もそうですが、
完全に世界観仕上がってますなぁ。
一応人が住んでる、、、

上写真も小学校への通学路でして、
子供の頃はフェンスの前に自販機がありまして、
小学1,2年生だった僕は
そこで友達と下校中に
缶ジュースを買って飲んでたら、
誰かにチクられまして、
先生に叱られた記憶が残っています。
さらにまた別の日ですが、
ちょうどこの場所で激しく転びまして、
膝が結構血まみれになるという
事態なんかもありました。
なるべく軽傷に見せようと
公園に寄り道して
水場でなるべく洗ってから
帰ろうとしてましたね。
結局おばあちゃんに
通称"赤チン"という消毒液を
塗ってもらい、
カットバンを貼ってもらう始末。
(実家では絆創膏のことをこの名で呼びます)
懐かしい思い出です。
些細な記憶も案外歩いていたら
思い出されるものですね。

これは中学校ですね。
学校全体を載せるのも
マズいかと思い、
学校前の道路と
ツツジごしからの校舎でおなしゃす。
ちょうど散歩してる日が
平日だったこともあり、
運動場では体育の授業してたりしたので、
パシャパシャカメラを撮るおじさんは
かなり不審者なので、
控えめに。気をつけました。

上2枚の写真は実家の裏の様子。
左手に見えるのはタクシー等の
交通会社ですが、幼少期からあり
創業はもうけっこう長いはずで、
昔はこんなに大きくなかった。
それこそ田んぼだらけでした。
成長したものですね。すごいなぁ。
そして右手にあるのは畑群。
実家の畑は2つ持っていたのですが、
内1つはこの一区画でした。
祖父は本当にマメな人で
じっとしていられない性格と合わさり
ルーティンのごとく
毎日毎日畑作業をしているイメージ。
用水を挟んで、
この整備されてしまっている道は
元は田んぼだったから畦道でして、
昔はホタルとかいたんですよ。
昔はここで祖父と花火してましたね。
ホタルと花火は相性抜群です。
僕の原風景の一つ。
ちなみにもう1箇所
祖父の畑だった所はこちら↓

この畑は小学校への
通学路の途中、道路沿いにありまして、
こちらもマメに毎日祖父が
丁寧にお世話してましたね。
でもそれももう10年以上前あたりから
歳のせいか、あれだけマメだった
祖父が「めんどくさい」と
気力が落ちてきまして、
知人から借りてた畑だったので、
返却したそうです。
免許返納とコロナ禍という
タイミングもあり、
ボケ始めたのもこの頃からか。
そんな祖父との思い出が色濃い
今回のブログですが、というのも
つい先日祖父が他界しまして、
後半はだいぶボケて
しまっていたようですが、
94歳の老衰。大往生だったとのこと。
完全におじいちゃん子であった僕ですが、
死に際も、葬式にも
立ち会うことができませんでしたので、
今回のレポートは
祖父との懐古&郷愁に駆られた
思い出散歩感強めでお送りしているわけです。

そんな畑のすぐ近くに
昔よく通った地元の小さな小さなスーパー。
この店では
おばあちゃんとの思い出が強め。
今はもう閉店し、
色褪せた看板のみ残ってます。
当時姉と
Jリーグチップス買いに行ったなぁ。
消費税の計算ができなくて、
ぴったり100円持って行ったら、
103円で(当時は消費税3%の時代)、
店員さんにオマケしてもらった記憶があります。

上写真は再び小学校周辺の景色。
この風景は小学校を背に
撮ったものですが、写真正面の建物が
石川県庁です。左手には立派に
新しくなった県立病院。
このひらけた田んぼでも畑でもない
何もない土地の景色は
昔から変わってない所の一つ。
懐かしいです。

こちらは小学校すぐ横に
昔から流れている用水路。
金沢三大用水路の一つ「鞍月用水」。
市の中心部から流れており、
延長約15kmにも及ぶ
約400年前からある
歴史と伝統ある用水路です。
この道をまっすぐ進むだけで
中学校にたどり着きます。そして
そのまま港、日本海へ繋がります。
用水路に変化こそさほどありませんが、
このビューで見る景色はガラリと
変わってまして、
そもそもまず建物がある笑。
ここら一体は全て田んぼでした。
それこそ中学校までそのまま丸見えという。
今でも簡単に中学校は見えるのですが、
だいぶ建物が多くなった印象を受けます。
そしてこの用水路沿いには
当時から道が整備されていまして、
ただ一般道ではなく、
農業用軽トラ専用道路みたいな感じ。
通常の通学路ではないものの、
この道から登下校することも
ちょこちょこありまして、
友達と気分次第で道を変えてましたね。
用水路沿いは整備されていたものの、
途中寄り道したり
曲がったりしたいときは、
田んぼを突っ切るわけで、
基本畦道です。
小学生時代はホントに
畦道ばかり歩いていた気がします。
畦道っ子、畦道大好きっ子か。
雨上がりなんかは
よく靴グチャグチャにしてましたね。
今でこそ畦道を歩こうなんて
全然思わないのに、
当時は整備されていようがいまいが、
「通れればそれは道」でしたね笑。
フェンスが立ちはだかろうものなら、
跨いだり登ったりくぐったり、
ドブだったら飛び越えればいい
(たまに落ちたり片足突っ込んだり)。
縦横無尽に歩いてましたね。

上写真2枚、
まさにこういう畦道のことです。
この景色は実家のすぐ近く、
変わらぬ風景です。
ザリガニ、おたまじゃくし、メダカ、
アメンボ、その他昆虫たち。
スマホなんて無くたって楽しかったなぁ。
時間の感覚も無限といった感じで、
よく"探検"してました。
次第にゲームとか部活、異性、
美術、バイク、デザインに
意識が向いていくわけで、、、
それはまた別の話。
幼少期の記憶に今も残る上写真こそ
これまた原風景の一つなのでした。

今でも地味に最寄りのコンビニまで
歩いて遠いという現状ですし、
当時よく利用していた本屋でいえば、
歩ける範囲で1店舗、自転車で1店舗、
金沢駅周辺で1店舗と、
計3店舗をよく利用していましたが、
10代の頃には全て閉店してしまい、
その代わり最寄りに
「金沢ビーンズ」という3F建ての
超大型書店ができました。
一応徒歩圏内、
自転車でいけばかなり近い距離となる
便利なアクセスです。
今はなんだか便利と不便が
入り混じった地域となっています。
新築の素敵な家が建った率は
かなり高めなエリアだと思います。

そんなこんなで生まれ育った町周辺を
今と昔で振り返る個人的町ブラレポート。

最後に最新スポットを少し紹介して、
締めたいと思います。
その名も「石川県立図書館」です!

元々あった図書館ですが、
場所の移転につき、
新設計の洒落た施設として
大きく生まれ変わりました!
通称「ビブリオバウム」と呼ばれる
ぐるりと円形に本が並べられている
レイアウトの図書館。3F建の立体構造。
始めと終わりをわからなくしたからだそうで、
まさに本の迷宮へ誘われたような感覚。
本のラインナップも今風な選書になってましたが、
一番羨ましいなと思ったのは、
自習室というか机と椅子のあるスペースが
とても多いこと。まさに高校時代に
こんな場所があったらもう最高〜となるほど、
充実の勉強場所であり、集中場所であり、
読書場所だなぁと。会議室や
3Dプリンタでの工作室もあり、
カフェも併設されてるので、
余裕で1日過ごせちゃう。
何度も言う、本当に羨ましい施設です!
以下写真並べます。

↑この写真は友人がスマホで撮った僕笑。
僕の尊敬する #柳宗理 先生の
バタフライチェアに思わず腰掛け。
このバタフライチェアは基本和室用なので、
靴履いて座るもんじゃないなと。
この場に置くにはミスマッチかなとは思います。
なかなか出合えない高価なイスでもあります。

そして図書館正面入口の外、
道を挟んで真向かいに
建設真っ最中の建物。
これが僕の母校の大学の新校舎となる建物です。
明るくてキレイすぎる、、、
美大感がないなぁと。汚せないなぁと。
美大とは暗く薄汚れていて、その学生は
浮浪者と紙一重みたいなところがありますから笑。

そんなこんなで
だらだらと金沢レポートはいかがでしたか。
まぁ「へぇ〜」レベルの
以上でも以下でもないという。。。
僕にとっては一つ振り返る良い機会だったなと。
地元の写真をたくさん撮れましたし。
以降は5年後とかそれくらいのサイクルでしか
金沢には行けないんじゃないかと思います。

正直まだまだ書き記したいこともあるし、
写真だってまだまだたくさんありますが、
一旦ここで締めたいと思います。

またコツコツと本屋を営む日々に戻ります。
+αでフリーランス業も請け負いながら、
今住むこの"掛川"を、"人"を、微力ながら
育てていけたらと思います。
僕自身の課題として、
ここ数年は"ちゃんと休む"ということと、
"工場をはやく辞めるために何ができるか"について
モヤモヤ思考を巡らせることになりそうです。

長文、とりとめもないことに
お付き合いいただきまして、
ありがとうございました。
普段の書評ブログとは異なる、
#とはずがたり またそのうち
気ままに綴ろうと思います。

今回はこの辺で。

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