本コバブログ:書評「流浪の月」を読んで

「本と、珈琲と、ときどきバイク。」の
店主がお送りするブログ。
略して“本コバブログ”。

今回は書評です。
「凪良ゆう著 流浪の月 」を読んで
思ったことなどを綴りたいと思います。
ネタバレなしで、表面的になりすぎず語りすぎず、
ちょうどよいバランスを狙って、
この本が読みたくなるような表現を心がけます。
(今回長文のため、所要時間20分程度)

遅ればせながら、
おととし度(2020)の本屋大賞受賞作を拝読。

偉そうなことを言うようですが、
本屋大賞に相応しい素晴らしい作品。
今年度こそ社会情勢とのリンクもあり、
「同志少女よ、敵を撃て」という例年とは
異なるテイストの大賞受賞となりましたが、
昨今の本屋大賞の傾向として、
「家族」「人間関係」「弱者」「声」
「趣向」「マイノリティ」「子ども」
などがテーマに多く
だいぶ偏ってきているのも否めない感は
少し感じていました。
そういう意味でも今年度受賞作は新風とも
言えるかもしれません。
ただ、偏ってきている感と言っても
どの作品もやはり抜群に面白いのは事実。

そんな中、このタイミングで
「流浪の月」を読みまして、少し感想をば。
勿論?「走る本屋さん高久書店」で購入。

まず、帯から察するに
「恋愛ものかな?」とは思いましたが、
これはシンプルな恋愛小説ではないですね。
そもそも恋愛でもなく、事件ものでもなく、
帯に書いてあるように「人間関係」の
新しい在り方みたいなものを
探し続ける人たちの物語かと思いました。
それがどれだけ周囲に理解されなくとも。

それだけにこうも人同士というのは
分かり合えないものなのかと
心が痛くなる思いで読ませて頂きました。
もちろんフィクションなんだけれど、
じゅうぶんにリアルが含まれていて
少なからず僕も共感および、
同様の体験を思い起こさせます。

「相手に伝えたいのに
どう伝えようとしても
相手はまるで理解してくれないし、
理解しようともしてくれない。
それがどんどん意図せず
間違った方向にねじれていく感覚。
そして次第に伝えるのを諦め、
言葉を紡げなくなっていく自分」

こういう感覚ですかね。
親に対してだったり、
会社にいてずっと思っていた事が
フラッシュバックしました。
めっちゃわかります。

まぁ簡単に言ってしまえば、
社会のはぐれもの、
マイノリティ側が前を向き、
自分の居場所を探す話。
なのですが、
それだけでは片付けられない
複雑さがあります。

まずあらすじから。

あなたと共にいることを、
世界中の誰もが反対し、
批判するはずだ。それでも文、
わたしはあなたのそばにいたい――。
実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、
息をのむ傑作小説。

(出版社サイトより引用)

素敵な表現だと思いますが、
もっとわかりやすいあらすじはないかと
探してみたけれど、どこも似たような感じ。

ということで、
僕があらすじを少々。

主人公は女性「更紗(さらさ)」。
幼少期に当時大学生だった青年「文(ふみ)」に
連れられ一時期を一緒に過ごす。
世間は誘拐事件となる。
二人はかけがえのない豊かな時間を
過ごしていたのだが、事件はあっさりと終息する。
そして世間の見方は
文は女児が好きな性癖を持つロリコンであり、
更紗は被害者。
更紗側の家庭にも問題があり、
文について行った事情もあるのだが、
世間は理解してくれない。
そんなモヤモヤを抱え、
互いに離れ、異なる時間を過ごし
それぞれ大人になった二人。
ひょんなことから再会を果たすが、、、


という流れの話です。
面白そう!となりますかね。。。
なってくれたなら幸いです。

今年度の本屋大賞ノミネート作の中に
「朝井リョウ著 正欲」がありますが、
この「正欲」はマイノリティの中でも
さらにスーパーマイノリティ側の話で、
多様性の認められたこの時代でも
まだまだ自分達の居場所なんてないから、
密かに隠れて生きていくしかない
という話だったのですが、
通じるものがありますね。

「話が伝わらない通じない理解されない」
ってホント辛い。そりゃ諦めたくなるさね。

考える側の人の繊細な描写がある一方で、
考えない側の雑な人の描写がこれまた
的を得てるなとも思ってちょっと載せてみます。

〜「幸せな人ってたいがい鈍いよね」
安西さんはあっさりと片付けた。
わたしは安西さんのそういう雑さが好ましかった。
余計なことを考える間もなく、
ぽんぽんと小気味よく扉が開いていく感じだ。〜

雑な人を見ると、もっと「考えろよ〜」とか
「配慮しろよ〜」とか思うところもあるのですが、
ぽんぽんと次の扉を開けていくという表現に、
こういう雑でさっぱりした人とは
付き合いやすいだろうなと。
それがわかっているからこそ
あまり会話や思慮がいらない気楽さがありますよね。
この描写を読んで、考えすぎちゃう傾向のある人とは
返って相性が良いのではと感じた瞬間でした。

物語が進むにつれて、
更紗や文の出した答えが、
正しいのか間違っているのかなんて無粋で、
当人たちにしかわからない絆があるし、
我々が介入する必要もないのだけれど、
周りにどう思われようと
この二人にとっては「愛」として
成立しているのかなとも思います。

そんな素敵な人の繋がり方もあるのだと
考えさせられる、これまた
人に優しくなれる小説です。

最後にあとがきに素敵な表現がありましたので、
ここで紹介させて下さい。

「凪良ゆうの作品を読むことは、
自分の中にある優しさを疑う契機となる。
その経験は、本当の優しさを知る一助となる。」


本の紹介は以上なのですが、
この本思うところがありすぎて、
ちょっと雑記を追加します。

雑記追加


どれだけ人の気持ちに寄り添えるだろう?
最近の本屋大賞の傾向しかり、
「人に優しくって何だ?」という問いを
持たずにはいられません。
本を読めば読むほどいろんな感情と出会い、
人に優しくなりたいと思うし、共感もしたいし、
多様な人が互いに悪依存せず
強く堂々とたくましく生きられるよう、
背中を押してあげられる人間になりたいと
思う意志がどんどん強くなっていることに気づく。

つくづく世の中には優しさが足りないと
思うことばかりだし、人同士においても
争いばかりなのは優しさが足りないからだ
とも思うし、人に優しくしようと強く
思うけど、優しさだって同じじゃなく、
優しさと優しさも時にはぶつかる。
余計かつ、いらない優しさだってある。
優しさの押し売りは暴力だと思うし、
優しさを押すばかりで相手の思いを
聞こうとしないのも立派な暴力。
結局人と人とのコミュニケーションは
欠陥だらけだという結論になってしまう。

ただ、争いの元として大きいのは、
言語の壁なんてのは全く関係なく、
各々が掲げる宗教観や正義や
モラルや配慮の壁の問題かと。
そもそも壁を壊す必要なんてないのに、
支配し干渉しようとするのが人間。

大きくなれば戦争に発展するのだけれど、
ここで厄介なのが
「個人の裁量に任された領域での正義やモラル」。
ここが絶えない争いの種。
最近の本の傾向に特に多い、
家族問題や人と人との絆、繋がり方を描いたもの。
そして「男」の怖さ。「女」の怖さ。
そのどれもが優しさを欠いたり、
性癖に支配されたり、
人の気持ちを理解できなかったことで
起こる諸々の問題なんですよね。

それは一番繋がりの濃い、
血縁関係だったとしても、
人と人であり、分かり合えないことも多い。
ただ、それを正すとは?
そもそも正す必要があるのか?
という視点も大事だと言うこと。
世の中は多数派と少数派や、固定概念で
ざっくりと括られることが多い。
しかも多数派が強く偉い傾向にあるのは
現代でもまたまだ色濃い。
それに倣う必要なんて全くないのに。
そして外れたら外れたで後ろ指を指される。
ホント今も昔も窮屈な時代です。
ようやく多様性が認められてきたのは
良いことではあるけれど、
まだまだ生きづらさは拭えない。

昔よりかは格段に良い時代とも言えるけど、
昭和の原風景のような大らかさは欲しいし、
「皆貧しく豊かでないけれど、心が豊かな時代」
も現代には必要だと思います。逆に言うと
「十分豊かで、貧しい時代」が現代と言っても
過言ではない。窮屈で変な時代。

ますます一人一人の生き方が問われています。
そこには「何を美しいと思うか」や
「何のために生きているのか」みたいなところを
自身が各々で感じ、主体的に掴み取ろうともがく
ことが現代において豊かということなのかもしれません。

「流浪の月」は、社会にとっては
反対が圧倒的多数だと思われることだけど、
更紗と文にとっては豊かで
美しい選択だったのだと思います。

そんなことを考えてしまいました。
今回はだいぶ長文になっちゃいまして、
読んで頂いて、ありがとうございました!

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